久しぶりに読んだ漫画

め組の大吾
もう何回読み直したかも忘れたぐらいに読みまくった個人的名作。
ストーリーもさることながら、人間の描写……特に表情の描写が秀逸。これこそまさに「漫画」って感じられる。


また、これは「消防官」の生き様を描いた物語だが、結構Fateなんかに通ずる点があることに気付く。
「大吾と五味さん」の関係がまさに「士郎と切嗣」。
「火災から救われる」「その救ってくれた相手に憧れ、志す」「誰かのために自分の命を張る」などなど、共通する点は非常に多い。
勿論、根本的に異なる点もあるが、そういった同じor異なる点を意識しながら比較してみるのも中々面白いものがある。



機動戦士クロスボーンガンダム
Gジェネで初めて存在を知って買い揃えたもの。
この漫画は絵に関してはかなり致命的なところがあるが、それでも面白い。流石は富野監督監修。
やはりガンダムと言えば、ニュータイプ
超能力とかファンネルが扱えるとか、そういったことは置いておくとして、実際に人類が宇宙に出ることで新たな可能性、適応性が現れるのではないか? というのには非常に興味を抱く。
特に、無重力、地面がない……というのは人間が人間である意味すら失くし得ると思う。
と言うのも、ガンダムでは必ずと言って「重力に魂を引かれた者たち」というような言葉が出てくるが、実際に重力に引かれているというのは人間が人間である由縁の一つだと思うから。
もし宇宙に出れば、そこは上下という意味を失くす。二足歩行という意味すら失くす。つまり、頭があって、手があって、足があって……という人間の構造の意味を失くすということ。さらに言えば、宇宙で生きる者には人間という身体をもつ必要がなくなるということ。
もしかしたら、目がトンデモナイ所についてたりするかもしれない。足が必要なくなり、手が増えるかもしれない。呼吸に関する仕組みも変わるかもしれない。
そう考えると、火星人がよく「タコ」みたいに表現されたりするが、宇宙に出ればそんな形の方が適応できるのかもしれない。


ガンダム」というのは世間も知る通り「ロボットアニメ」ではあるが、そういった「宇宙に出た人間の、とある『可能性』の物語」と考えたりすると、ただのアニメ……で区切られるようなものでは全くないな、と今更ながらふと思った。